コーチングの手法 真理の探究 鑑の場合

コーチングについて様々な流派、理論、手法・・がある。それらについて、どう考えるべきか。いろんな捉え方があると思う・・・・・。じゃあ私鑑の場合は?そこについてかいていきます。



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みなさん、こんにちは。鑑 樹一(かがみ みきひと)です。ここでは、コーチングや教育のことについて考えたことを書いています。
予想外に多くの方に読んでいただき、大変うれしく思っています。心より感謝申し上げます。


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プラグマテズム


プラグマテズムの考え方が性に合う。



人間には、タイプがある。私は、学究派ではない。


従って深く真理を追究しようとはあまり思わない。


教員時代の教科に関しても、あるいは運動の指導技術に関しても・・・・・


勉強しないわけではない。様々広くあたってはいく。


ただ、深く、深く、より深く・・・とはならない。そういう性分なのである。


深く追求する人がいても全然いい。


そういった人たちの存在が重要であることも否定しない。


ただ私はそうではないということである。私は実践を重んじたい。

「神は真理か?」



プラグマテズムの哲学者ジェームズは言う。


「それを信じて、それが役にたつ人にとっては真理である」


「信じない人にとっては真理ではない」



つまり



用は役に立つか、立たないか、大事なのはその点なのである。



真理とは、実際に役に立つということなのである。


この考え方が、私は好きである。



脳や潜在意識の問題


たとえば、脳や潜在意識の問題。コーチングなどのおいてもよく語られるテーマである。


◆「現実と想像が区別できない」



◆「時間と空間の概念がない」



◆「否定形を理解できない」



◆「自分と他人を区別できない」



◆「善悪の判断ができない」・・・・


これらの理論。様々な本にも当り前のように書かれている。


これらは絶対的な真理なのか・・・・・


肯定するひとたちもいる。否定する人たちもいる。


鑑の場合


私は、どっちでもいい。それが役に立つか否か・・・・・



その基準で、私はやっている。



それが私の性に合うやりかたなのである。