本当の自分にめざめる ヤスパースの思想より
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みなさん、こんにちは。鑑 樹一(かがみ みきひと)です。ここでは、コーチングや教育のことについて考えたことを書いています。予想外に多くの方に読んでいただき、大変うれしく思っています。心より感謝申し上げます。
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本当の自分にめざめる ヤスパースの思想より
本当の自分にめざめる
ここではヤスパースの思想についてみていきたいと思う。ただ最初に言っておく。これは正確な情報ではない。あくまで知識のない私流のヤスパースの解釈だ。
ヤスパースは本来の自分に出会うためには、厳しい環境と忌憚のない意見の応酬ができる同志の必要性を説く。
厳しい環境
日本には無神論者が多い。神社や寺に行っても、本当に神がいるとは思っていない人が結構いるのではないだろうか。
自分の肉親が船で沖に出た。ところが海が嵐になり、船は行方不明。こんな時、人はどういう行動をとるだろう。
何とか助かってほしいという思いにかられるのではないだろうか。
そして、結構な人が
ただたんに
「助かってほしい」
と思うだけでなく
「助けてください」
と
泣くような思いで
両手をあわせて
祈るのではないだろうか。
大いなるものとの出会い
ヤスパースは、死、苦悩・闘争・罪責のように,人間にはどうすることもできない状況を限界状況とした。そして、人は、限界状況に直面し,自己の有限性・絶望・不安を感じるなかで,自己をこえた超越者に出会うことができるという。その時に人は本来的自己に目覚めるという。
このことが、私はいまいちわからなかった。ただ、上の話を考えたときに、自分なりに腑に落ちた気がした。
普段神の存在を信じない人も、限界状況に陥った時に
「助けてください」
と神に祈るシーンはリアルに目に浮かばせることができた。
さらに本当の自分にめざめるには‥‥‥
愛しながらの戦い
ヤスパースの経験した限界状況は、ユダヤ人の妻を差し出せというナチスに対抗し、自宅に立てこもった経験だ。
ここで夫婦のあいだにどんな会話がなされたかは、私はよく知らない。
想像だが‥
「私は収容所に行くから、あなたは生き延びて」
「そんなのはいやだ。二人で自殺しよう」
あるいは
「私は行きたくないわ。死にたくないわ」
あるいは
‥‥
本当に、ああでもない、こうでもない、いろんな会話がなされたであろう。
よく生徒に
「僕の鼻から鼻毛が少し出ていたら、君たちは教えてくれるかい?」
と聞くと、生徒たちは笑っている。
日常の生活の中で、人が接していくとき、言えることと言いにくいことがある。鼻毛に関
しては、幼い正直な子は言ってくれるかもしれない。だが、こっちに恥ずかしい思いをさせてはいけないと思い言わない子も多いだろう。
大人同士だと、そんなことはもっと増えるだろう。思っていても言わないことは山ほどある。
ただヤスパースは、信頼できるもの同士が本当に愛情をもって意見をぶつけあい、本音をさらけだすことによって、人はさらに本来の自己にめざめていくという。
よく覚えていないが
みたいな言葉があったような気がする。(嘘だったらごめんなさい)
でも、私にはそんな言葉がヤスパースの思想として記憶され、かつ深く刺さっている。
ヤスパースはこのことを愛しながらの戦いと呼んでいる。
あなたは、あなたがその人に出会うことによって、より本当にあなたに目覚めていく。
そんな存在の人をもっていますか。
愛しながらの闘争
ヤスパースが説いた、共通の根元である超越者(世界の全ての存在を包みこむ超越的な絶対者)のもとに立ち帰ることで、真にかけがえのない実存が、他の実存と行う実存的交わりの一環。愛しながらの闘争を行うことで人は連帯性を作り上げていく。
(辞書から引用)
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